●書名・・・「深読み」読書術: 人生の鉱脈は本の中にある
●著者・・・白取 春彦
本を読むということはほとんど誰にでもできることですが、どの程度まで読み解けるかは人によってさまざまです。
浅い読み方しかできないと、内容を誤って理解したりその本の主張に自分が飲み込まれてしまうことにもつながります。
この『「深読み」読書術』は、いかに本を読むか、どうやって“深く”読み表現されていることの向こう側まで読み取る力を付けるかについて書かれています。
本を読み思考力を磨くことで、さらに深く読み取ることができるのです。
① わたしたちはあらかじめ言葉を知っておいてから、言葉を使ったり本を読んだりするわけではない
私たちは日常的に言葉を使い他人と会話をしているので、無意識のうちに“自分は言葉を知っている”と思っています。
しかし本当にそうなのでしょうか?
人は、自分以外の誰かが言葉を使っているのを経験することでのみその言葉の使い方を知ることができます。
ちょうど子供が親の話す言葉を聞いて言葉を覚えるようなものです。
同じく、本を読むことにも「言葉を知る」という効果があります
このように自分の言葉とは周りの環境からの強い影響を受けているものです。
この影響力を悪用しているわかりやすい例が、不良少年グループやカルト宗教。
彼らは“仲間内でしか通じない新しい意味で”ある言葉を使ったり独自の造語を使うことで自分たちのつながりや歪んだ論理をより強固なものにします。
これに対し本は、ある程度の知識人によって書かれ、編集者など複数人の“文章と言葉のプロ”にチェックされるのでよほどのことがない限りかなりまともな言葉を読むことができます。
正しい言葉遣いと論理で構成された本を読むことで、自分の中の言葉を矯正する効果があるのです。
② 表現の裏にどんな驚きや気持ちがあるのかを感じ取れてはじめて、新しい推理が可能になる
“読書”とは極端に言えば“本に書いてある文字を読む”ことですが、しかし書いてある文字の意味をそのまま受け取るだけでは、その文章の真の意味には気づくことができません。
日本の神話が書かれている「古事記」には
「豊葦原水穂國」
という言葉が出てきます。これは日本の美称とされているのですが、葦や稲穂が生い茂るということで特に“水の豊かさ”が強調されています。
これを文字通り読むと「昔の日本人は自分の国をこう呼んでいたのかなぁ」くらいにしか思いませんが、これに対し解剖学者の養老孟司さんは
「これは、カラカラに乾燥した、大陸の自然を知る人の表現に違いない。(中略)もともと日本という土地に土着していれば、こうした表現で、自分の国土を表すはずがない。そうした自然状況こそが、むしろ前提だからである。」
と、むしろ日本とは異なった環境の土地から来た人が書いたのだろうと推理しました。
もちろんそんなことは書かれてはいないのですが、その書かれていないことを「読み取った」のです。
これが読み取りであり、洞察力です。
そして読み取りとはいわゆる「行間を読む」ということです。
ビジネス書などのことばかり書いていると忘れられてるかもしれませんが僕も俳優(!)なので、この「行間を読む」ということは台本を読むときに常に直面する問題です。
読み取る力が欠けていたり、また使われている言葉の正確な意味を知らないまま読んでしまったりするとその文章の“含まれる意味”に気づかず、誤読してしまう恐れがあるのです。
③ 現代は現代からのみで成り立っているわけではなく、古典世界を新しく再現している部分がとても多い
現代の映画や音楽などでも、聖書や古事記などの古典からアイデアを拾っているもとはとても多いです。
言葉や習慣も古典から影響を受けているものが多数あります。
なので、それらの古典を読むことで日常にある様々な物への理解が飛躍的に高まります。
古典はその多くが非常に読みにくい書かれ方をしてあり、量も多く厚いので読むのにも躊躇してしまうかもしれません。
しかしそこで一度古典を読むことができれば、自分の中でやり抜く力や思考力が磨かれていくのです。
また古典を読むことで、現代の自分たちが思い悩んでいることを数世紀前の人たちがすでにかなり深くまで考え抜いていたなんてことにも気づくことがあり、実は現代の自分たちの方が古臭い考え方に凝り固まっているのではないか、と疑問を持つことも出来るのです。
そして古典を読むことの何よりの効用は、断片的な知識や経験による想像から生じてくる偏見がぐっと減少し、正しく物を見る目が養われるということです。
まとめ
本を読むということは、新たな視点でものを見るということです。
本を読むことで思考力が磨かれ、内面が豊かになります。
本を読まないことで、偏見に満ちた誤ったものの見方をしてしまいます。
そういう読書を繰り返すことで、自分の“読み取り力”は磨かれていきます。
また、読み取り力を土台から育てるのは想像力。
想像力をたくましくするには、日常のいちいちの事柄に全身でまじめに取り組む生活を送ることです。
つまり、
“書物は机の上で理解されるのではない。生活の中から理解される”
ということです。