人生読本~20代からの読書日記~: 11月 2016

2016年11月24日木曜日

「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」堀江 貴文著

今回の本はこちら。







●著者・・・堀江 貴文




ホリエモンこと堀江貴文さんの2013年の著書です。

当時堀江さんはいわゆるライブドア事件で服役しており、この本は出所後の完全書き下ろし第一弾となりました。

といっても刑期を終了したのはこの本が刊行された直後だったということなので、実際には服役中に原稿を書いていたのでしょう。


そのようなタイミングで書かれた本であるため内容的にもそれまでの著書とは少し異なり、堀江さん自身が「ホリエモン」であった自分を振り返りそれまでの著書では表現してこなかった一面をあえて扱ったものとなっています。


「ホリエモン」ではなく「堀江貴文」の背景を説明するために、全体の半分ほども使って自身の出自から学生時代を通した現在までを語り、またそれまであまり表に出てこなかった堀江さん本人の「働くこと」への価値観が読み取れるような内容になっています。


そのなかでもとくに大きなものはタイトルにもなっている「小さなイチを足していく」ことだと思います。


堀江さんは成功へのショートカット=「掛け算」についての質問をよくされるそうで、実際それまでの著作ではその「掛け算」に重点を置いた書き方をしていたそうです。

でもそれは、地道な努力=「足し算」がはじめにあってのことこと。

あまりにも当たり前すぎて堀江さん自身それまであまり表には出さなかった部分です。


この「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」では、その「足し算」をこそ中心に書かれています。


① 物事の出発点は「掛け算」ではなく、必ず「足し算」でなければならない。まずはゼロとしての自分に小さなイチを足す。



堀江さんが若い人から受ける質問で最近感じることが、みんな「掛け算の答え」を求めているということだそうです。

「掛け算の答え」とはつまり成功へのショートカット。どうしたら楽に成功できるか(稼げるか)といったことです。


しかし「掛け算」というのは、一度ゼロをかけてしまえばどんな大きな数字でもすべてゼロになってしまいます。

つまりまずはゼロ(自分)を1以上にしなければ全く成果は出ないのです。


もちろんかける数字が大きければ答えも大きくなりますが、それも1になった自分を2や3へと少しずつ足していくことで達成できるのです。

つまり、常に前提は「足し算」なのです。


もう一つ気を付けなければいけないのは、失敗してしまった時のことを考えるときです。

人は誰でも失敗することがあります。ですがたとえそれでこれまでの積み重ねが無になったとしても、マイナスにはなりません。ゼロになるだけです。


ゼロになったら、また「足し算」から始めればいい。


1人の人間ができる失敗などたかが知れていますから、失敗することを恐れて一歩も動けなくなってしまうことの方がよっぽど恐ろしいのです。


どんな時でも、地道に「足し算」から始める。そうすることで、いつでも前に進むことができるのです。


② 人は「仕事が好きだから、営業に没頭する」のではない。順番は逆で、「営業に没頭したから、仕事が好きになる」のだ。



「あいつは仕事が好きだからうまくいっているんだ」どこかで聞きそうなセリフですね。

同じ仕事をしているはずなのに自分はストレスだらけでどうにもうまくいかない。それはこの仕事が好きじゃないからだ…という感じにつながっていくのでしょうか。


しかしそれは、その仕事が「他人から与えられた仕事」だからです。

自分で無から作り出すとかそういうことではありません。受動的に人から与えられただけの仕事では反発心も湧きやりがいも感じにくいものです。


ですが能動的に取り組めばやりがいも見つけられその仕事に没頭でき、結果的に仕事を好きになることができるのです。


ではどうすれば没頭できるのか。

それはつまり「自分の手でルールを作る」ことです。


同じ仕事でもこうして自分の手でルールを作り、自分で立てたプランなら納得感をもって取り組めるのです。


そうして仕事に没頭し、仕事を好きになるのです。

逆に言えば、仕事が嫌いだと思っている人はただの経験不足なのです。


③ 働くことは生きること。僕らは、自らの生を充実させるために働くのだ。



多くの人は給料を我慢と引き換えに受け取る対価だと思っています。しかしそれではお金というものを色眼鏡をかけて見てしまいます。


それに仕事とは人生で最も多くの時間を投じるもののひとつなのに、それを我慢の時間にしてしまうのは間違っています。


それでもその状況に甘んじ、なおなにがしかの不自由さを感じている人は少なくないはずです。

しかしこれは時代や環境のせいではありません。


そういう人はその環境に自ら満足してしまい、思考停止しているのです。


確かにその方が楽です。

楽ですが、そうやって思考停止することで人は急速にオヤジ化してしまいます。前に進むことを止め、前例や常識ばかりを口にする心の「オヤジ」になってしまうのです。


そうならないためには、とにかく何事も自分の手で選ぶこと。

常に満足せず、自分の頭で考える。


仕事でも同じことが言えるでしょう。

そうやって自分で考え、工夫し、没頭することで仕事を好きになり、人生の多くの時間を充実したものにしていくのです。



この本は大きな意味での働き方を通して“堀江貴文”の内面を垣間見られる一冊です。


前半に書かれているご自身の半生を読んでももちろんわかるのですが、この本では一貫して「仕事」と「人生」をテーマとしており、それらを通して「自由」になるための考え方が書かれています。


そしてそのためにはひたすら“ゼロの自分にイチを足す”。

そういう地道な努力、そして考えることと働くことは車の両輪のようなものです。どちらが欠けてもうまく前には進めず、両方とも重要なのです。


演劇界(特に小劇場界)では、「好きな芝居をするために我慢してアルバイトに多量の時間を使う」という人がよくいますが、この本を読んでみるとそういう生き方も何か少しずれているのではないかと思ってしまいます。果たしてそれで本当に充実しているのか、と。


また学びという点についても、芝居には限りませんがどんなスキルも一足飛びに上達したりはしません。


やはりつねに“ゼロの自分にイチを足す”ことが必要なのです。




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2016年11月6日日曜日

「わかりやすく〈伝える〉技術」池上 彰著

今回の本はこちら。

 


●著者・・・池上 彰著

●価格・・・740円+税


NHKの記者で現在も多くの番組でニュースや世界情勢の解説をなさっている池上彰さんの本です。

この本ではタイトルの通り池上さんが様々な番組で説明や解説をしていく中で培ってきた具体的な「わかりやすく〈伝える〉技術」を紹介してくださっています。

実際この本を読むと普段の池上さんの番組でもよく使われていて、聞いていても確かにわかりやすい解説になっているのは言うまでもないでしょう。



①わかりやすい説明とは、相手に「地図」を渡すようなもの→“リード”


「リード」とは「前文」という意味です。

NHKでは最初にニュース原稿の書き方を訓練する際そのニュースの頭に必ずリード、「これはこういうニュースですよ」という簡単にそのニュースを示す前文を付けるよう教えられるそうです。

このリードがあることで大雑把にですが内容の全体像をとらえることができるので、聴き手は細かい内容も「これがあの結論につながるのだな」としっかり聴きやすくなるのです。


池上さんはわかりやすく説明することを「相手に地図を渡すようなもの」だと表現しています。この地図にあたるのがリードです。


地図があることで話の目的地がわかるので、どのようなルートを通るのかわかりやすくなるのです。

目的地のわからない話では新しい情報が出てくるたびに「これは何に関係するんだろう?」といちいち考えながら聴かねばならず、話に集中できなくなってしまいます。


また話の予定所要時間も最初に明示しておくことで聴き手は安心して聴けるようになります。先行きの見えない旅では不安になってしまいますからね。

質疑応答などももしあるのでしたら最初に伝えておくことで、「ここはあとで質問しよう」と考えて聴くことができるので、より有意義なものになるでしょう。


リードを考えることは聴き手だけでなく話し手にも効果があります。

リードとは話の全体像をまとめたものですから、当然その内容自体がまとまっていなければ書けません。

いざリードを書こうと思ってもその時になって初めて必要な情報が足りないことに気づいたりします。


つまりリードを書くことを前提に情報を集め内容を考えていけば、自然にわかりやすくまとまっていくのです。



②長くてわかりにくい文というのは、実は単に論理的でなかっただけということが多い


難しい単語をいろいろ並べて「~で、~ということから、~といえる」なんて言われたら、なんとなく重要で論理的に話しているように聞こえてきます。

でも、本当にそうなのでしょうか?


長い文章というのは、ひとつの文章の中に複数の意味が含まれていてなかなか理解しやすいとは言えません。

これはまず単純に量が多すぎるという問題があります。
物に例えると、一人で一度に運べる荷物には限界があります。たとえ持てたとしても、それがぎりぎりの量なら動きが鈍くなったり周りが見えなくなったりしてしまいます。ですが、これを小分けにするとすんなり運ぶことができます。

文章も同じで、長い文章は短く区切ってしまい聴き手に少しずつ理解してもらうことでよりわかりやすくなります。


このとき実は、長い文章のもう一つの問題が浮き彫りになることがあります。


本当に論理的に意味の通っている文章なら短く区切ってもそのまま論理的に理解することができるのですが、この段階で意味がよくわからなくなってしまう文章というものがあります。

これは、そもそも長い文章だった時から実は論理が破綻していたのです。


そのような長い文章をよく見ると、途中いろんな接続詞でさまざまな文章をつなげていることがよくあります。


文章と文章が接続詞でつながっているとなんとなく論理的な気がしてしまいますが、本当に論理的な文章であれば無駄に接続詞など使わなくてもしっかり意味が通るものなのです。


このような状態を意識的に避けるためにも、長い文章は短く区切る。そうして読み直したときに意味が通っていなければ、改めて文章全体を見直すことでよりわかりやすい文章になるのです。


③「自分が理解する」ということと「他人に説明できるほど理解する」ということの間には、大きな落差がある


自分では理解したつもりでも、他人から「じゃあ説明してくれ」と言われるとなかなか簡単に説明できるものではありません。


人は、自分の頭の中にあるバラバラな情報(知識)が一つにつながったときに「わかった」と思うものです。

ということは他人にわかってもらうには、その人の頭の中にどんな知識があるかを考え予測しながら、その知識を論理的につなげていく必要があります。

相手の知識の段階によってもちろん必要な説明も変わってくるのですが、いずれにしろこのレベルで説明するのは大変なことです。


ここまでしっかり説明するためには、それ以上に自分が理解している必要があります。

自分がなんとなく「わかった」と思っている段階では、実は他人に説明できるほどにはわかっていないことが多いのです。


他人に説明するということがここまで大変なのですから、最初から「他人に説明する」という前提で調べていくと自分の理解が飛躍的に進みます。


理解するということはインプットの作業ですが、説明するアウトプットを行うことでアウトプットするために本当に必要なものは何かを知ることができ、そのためにどうインプットするべきかがわかるのです。

表裏一体のインプットとアウトプットを行うことで自分もよく理解でき、他人にもわかりやすく説明することができるのです。



この本を読んで強く印象に残ったのは、「わかりやすく〈伝える〉技術」というのはつまりいかに自分が理解するかにかかっているのだ、ということです。

もちろん理解したうえでそれをさらにわかりやすくする方法もたくさんあるのですが、それもすべて自分がしっかり理解していることが大前提です。


また「伝える技術」を知ることで、自分が「伝わりにくい」説明を聞いたときに何を整理して聴いたらよりわかりやすくなるのかもわかり、理解の助けになると思います。


お芝居をする上でもこの「わかりやすく〈伝える〉技術」の必要性は痛烈に感じました。


それはお客様に観てもらう前の段階、演出家と役者間や役者同士の間で特に重要だと思います。

演出家は役者がどういう理解をしているのかを予測しながら自分の考えを伝える必要がありますし、役者も相手の演出家や共演する他の役者に自分の考えを正確に伝えないと息の合った芝居を作ることはできません。

こういう点でお互いの理解に行き違いを生じている現場は数多くあります。演劇界はまだまだ縦社会なので多少の意見の違いは無理やり解決したりしますが、それでもわだかまりは残るでしょうし、自分たちが正確に理解していない物語をお客様に理解してもらおうというのも不可能な話です。


現代では直接他人に会わなくてもできることがかなり増えてきましたが、それでもどんなことをしてもその先には自分以外の他人がいるはずです。

他人と関わらないでは生きていけない人間社会において、この「わかりやすく〈伝える〉技術」は誰にとっても必須のスキルとなることでしょう。




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