●書名・・・すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論
●著者・・・堀江 貴文
学校に植え付けられた”常識”はいらない
これまでも堀江さんの著書の中で軽く教育について触れていることはありましたが、この本では丸々一冊費やして堀江さんの教育観を語っています。
タイトルの「脱・学校論」からもわかるように、この本で扱う「教育」とは教育機関=学校のことです。
そして堀江さんは全ての学校とはすなわち「常識の洗脳機関」であると断じています。
この誰しもが学校に植え付けられた”常識”という洗脳を解き放ち、それぞれのやりたいことに没頭していくのがこれからの生き方であると語っています。
”従順な労働力”は今後必要なくなっていく
ヨーロッパの産業革命期、産業の中心となった工場を支える労働力を育てるところからいわゆる学校は始まりました。
当時の工場の生産性というのはそのまま国の軍事力に直結しています。
この生産性を上げることがそのまま国力となっていたわけです。
そしてこの価値観は、そのまま日本にも受け継がれました。
社会に出たときに会社が扱いやすい社員になるように”常識”を叩き込む場所、それが現在に至るまでの学校なのです。
しかしロボットやAIの誕生により、いままで人間がやっていた単純作業はどんどん仕事としてはなくなっていきます。
そうなると、上の言うことを従順に聴いてひたすら働く能力というのはもはや必要なくなります。
それにインターネットが発達した現代では、必要な知識をその都度調べることも非常に簡単になりました。
となれば、自分の好きなことに没頭しそれについての知識を深めることでAIなどにはまねできない仕事をしていくことが今後はより簡単になっていくのです。
やりたいことに没頭して新たな価値を生み出す
レオナルド・ダ・ヴィンチやニュートン、アインシュタインだって自分の興味の対象に没頭し続けたにすぎません。
しかし彼らとの違いは、インターネットの普及によってとにかく情報を手に入れるハードルが下がったことにつきます。
そしてそれは同時に、情報の発信も容易になったといえます。
何かに没頭して専門性を高め、それをインターネットを使い様々な形で発信していくことで興味の対象はそのまま仕事になります。
誰でもできる仕事を誰もができるようになるための”常識”を植え付ける機関としての学校の役割は、すでに失われつつあるのです。
まとめ
インターネットの登場により情報へのアクセスは容易になり、また社会や国という境界すらなくなりつつあります。
そんな時代の流れに対応せず、画一的な過去の価値観を教え続ける「学校の教育」は確かに洗脳に近いものがあります。
しかしどんな組織や存在も、必要性があってそこにあります。
その必要性が変わってきているのですから、教育の在り方も堀江さんの言うように変化していくでしょう。
既に教育という洗脳を受けてしまった人たちもその呪縛から解き放たれ、自分のやりたいことに没頭する。
そんな時代が来るはずです。
この本には他にも、
- G人材とL人材
- タグ付けによる自身の価値の向上
- これからの働き方
など、教育について他の著書よりも一歩も二歩も踏み込んだ内容が書かれています。
堀江さんの他の本を読んで気になった人が読めば、より理解を深められるでしょう。
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