人生読本~20代からの読書日記~: 「わかりやすく〈伝える〉技術」池上 彰著

2016年11月6日日曜日

「わかりやすく〈伝える〉技術」池上 彰著

今回の本はこちら。

 


●著者・・・池上 彰著

●価格・・・740円+税


NHKの記者で現在も多くの番組でニュースや世界情勢の解説をなさっている池上彰さんの本です。

この本ではタイトルの通り池上さんが様々な番組で説明や解説をしていく中で培ってきた具体的な「わかりやすく〈伝える〉技術」を紹介してくださっています。

実際この本を読むと普段の池上さんの番組でもよく使われていて、聞いていても確かにわかりやすい解説になっているのは言うまでもないでしょう。



①わかりやすい説明とは、相手に「地図」を渡すようなもの→“リード”


「リード」とは「前文」という意味です。

NHKでは最初にニュース原稿の書き方を訓練する際そのニュースの頭に必ずリード、「これはこういうニュースですよ」という簡単にそのニュースを示す前文を付けるよう教えられるそうです。

このリードがあることで大雑把にですが内容の全体像をとらえることができるので、聴き手は細かい内容も「これがあの結論につながるのだな」としっかり聴きやすくなるのです。


池上さんはわかりやすく説明することを「相手に地図を渡すようなもの」だと表現しています。この地図にあたるのがリードです。


地図があることで話の目的地がわかるので、どのようなルートを通るのかわかりやすくなるのです。

目的地のわからない話では新しい情報が出てくるたびに「これは何に関係するんだろう?」といちいち考えながら聴かねばならず、話に集中できなくなってしまいます。


また話の予定所要時間も最初に明示しておくことで聴き手は安心して聴けるようになります。先行きの見えない旅では不安になってしまいますからね。

質疑応答などももしあるのでしたら最初に伝えておくことで、「ここはあとで質問しよう」と考えて聴くことができるので、より有意義なものになるでしょう。


リードを考えることは聴き手だけでなく話し手にも効果があります。

リードとは話の全体像をまとめたものですから、当然その内容自体がまとまっていなければ書けません。

いざリードを書こうと思ってもその時になって初めて必要な情報が足りないことに気づいたりします。


つまりリードを書くことを前提に情報を集め内容を考えていけば、自然にわかりやすくまとまっていくのです。



②長くてわかりにくい文というのは、実は単に論理的でなかっただけということが多い


難しい単語をいろいろ並べて「~で、~ということから、~といえる」なんて言われたら、なんとなく重要で論理的に話しているように聞こえてきます。

でも、本当にそうなのでしょうか?


長い文章というのは、ひとつの文章の中に複数の意味が含まれていてなかなか理解しやすいとは言えません。

これはまず単純に量が多すぎるという問題があります。
物に例えると、一人で一度に運べる荷物には限界があります。たとえ持てたとしても、それがぎりぎりの量なら動きが鈍くなったり周りが見えなくなったりしてしまいます。ですが、これを小分けにするとすんなり運ぶことができます。

文章も同じで、長い文章は短く区切ってしまい聴き手に少しずつ理解してもらうことでよりわかりやすくなります。


このとき実は、長い文章のもう一つの問題が浮き彫りになることがあります。


本当に論理的に意味の通っている文章なら短く区切ってもそのまま論理的に理解することができるのですが、この段階で意味がよくわからなくなってしまう文章というものがあります。

これは、そもそも長い文章だった時から実は論理が破綻していたのです。


そのような長い文章をよく見ると、途中いろんな接続詞でさまざまな文章をつなげていることがよくあります。


文章と文章が接続詞でつながっているとなんとなく論理的な気がしてしまいますが、本当に論理的な文章であれば無駄に接続詞など使わなくてもしっかり意味が通るものなのです。


このような状態を意識的に避けるためにも、長い文章は短く区切る。そうして読み直したときに意味が通っていなければ、改めて文章全体を見直すことでよりわかりやすい文章になるのです。


③「自分が理解する」ということと「他人に説明できるほど理解する」ということの間には、大きな落差がある


自分では理解したつもりでも、他人から「じゃあ説明してくれ」と言われるとなかなか簡単に説明できるものではありません。


人は、自分の頭の中にあるバラバラな情報(知識)が一つにつながったときに「わかった」と思うものです。

ということは他人にわかってもらうには、その人の頭の中にどんな知識があるかを考え予測しながら、その知識を論理的につなげていく必要があります。

相手の知識の段階によってもちろん必要な説明も変わってくるのですが、いずれにしろこのレベルで説明するのは大変なことです。


ここまでしっかり説明するためには、それ以上に自分が理解している必要があります。

自分がなんとなく「わかった」と思っている段階では、実は他人に説明できるほどにはわかっていないことが多いのです。


他人に説明するということがここまで大変なのですから、最初から「他人に説明する」という前提で調べていくと自分の理解が飛躍的に進みます。


理解するということはインプットの作業ですが、説明するアウトプットを行うことでアウトプットするために本当に必要なものは何かを知ることができ、そのためにどうインプットするべきかがわかるのです。

表裏一体のインプットとアウトプットを行うことで自分もよく理解でき、他人にもわかりやすく説明することができるのです。



この本を読んで強く印象に残ったのは、「わかりやすく〈伝える〉技術」というのはつまりいかに自分が理解するかにかかっているのだ、ということです。

もちろん理解したうえでそれをさらにわかりやすくする方法もたくさんあるのですが、それもすべて自分がしっかり理解していることが大前提です。


また「伝える技術」を知ることで、自分が「伝わりにくい」説明を聞いたときに何を整理して聴いたらよりわかりやすくなるのかもわかり、理解の助けになると思います。


お芝居をする上でもこの「わかりやすく〈伝える〉技術」の必要性は痛烈に感じました。


それはお客様に観てもらう前の段階、演出家と役者間や役者同士の間で特に重要だと思います。

演出家は役者がどういう理解をしているのかを予測しながら自分の考えを伝える必要がありますし、役者も相手の演出家や共演する他の役者に自分の考えを正確に伝えないと息の合った芝居を作ることはできません。

こういう点でお互いの理解に行き違いを生じている現場は数多くあります。演劇界はまだまだ縦社会なので多少の意見の違いは無理やり解決したりしますが、それでもわだかまりは残るでしょうし、自分たちが正確に理解していない物語をお客様に理解してもらおうというのも不可能な話です。


現代では直接他人に会わなくてもできることがかなり増えてきましたが、それでもどんなことをしてもその先には自分以外の他人がいるはずです。

他人と関わらないでは生きていけない人間社会において、この「わかりやすく〈伝える〉技術」は誰にとっても必須のスキルとなることでしょう。




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