人生読本~20代からの読書日記~: 「大局観」羽生 善治著

2016年8月24日水曜日

「大局観」羽生 善治著


●書名・・・大局観 自分と闘って負けない心 (角川oneテーマ21)
●著者・・・羽生 善治著
●価格・・・800円+税


「大局観」とは少し耳慣れない言葉ですが、「大局を見る」などと使われるように物事を部分ではなく全体として俯瞰して見るといったところでしょうか。


著者の羽生善治さんは言わずと知れた将棋の名人ですね。この「大局観」の他にも「決断力」や「直観力」など様々な本を書いています。


将棋では部分部分の駆け引きだけではなく盤面全体のことも考えて戦っていかなければなりませんから、自然とこの「大局観」が重要になってきます。
しかし羽生さんの言っている「大局観」とは、実際には盤面のみにとどまらず勝負の前後、もはや将棋以外の場面のことも含まれています。応用が利くとかいう話ではなく、この場合それらを含めてなお将棋に戻ることなのでしょう。


そんな「大局観」ですから、もちろん日常でも非常に重要な考え方と言えます。


①同じ戦法を手堅くとり続けるということは、一見すると最も安全なやり方のように思えるが、長いスパンで考えたら、実は最もリスキーなやり方


現在の将棋界はもちろん以前より情報化が進んでいるため、なにか画期的な戦法があってもすぐに研究され対策を立てられてしまうそうです。時間が経つほどこの研究は進むので、同じ戦法をとり続けるとそれだけより多くの対策が立てられることにもなります。これに対抗するためには、常に新しい戦法を研究し使っていくしかありません。


これは日常生活でも同様です。
意識しないと人間はその日の行動の約8割が昨日と同じだと言われています。


あまり気に入らなくともただ安定しているという理由だけでいつも同じ仕事をしている人も多いでしょう。
しかしとかく変化の多い現代、いつ何が起こるか誰にもわかりません。急に今の仕事がなくなるかもしれないし自身が体調を崩すことも十分考えられます。こんなとき、それまで少しも挑戦することがなかったとしたら、使える手札は限りなく少なくなってしまいます。


こういう“本当のリスク”を避けるためにも、普段からすこしずつでも新しいことに挑戦し、自らリスクをとっていく必要があるのです。


②「大局観」では「終わりの局面」をイメージする。最終的に「こうなるのではないか」という仮定を作り、そこに「論理を合わせていく」ということ


将棋はスタートの形が常に同じで、相手と一手ずつ指していくことも同じで、指せる手は無限にあります。
そのなかでお互いただやみくもに指していったのでは勝負の流れも見えず行き当たりばったりの内容になってしまうでしょう。


「大局観」の世界では、まずだいたいの勝負の方向性を想像し、そこに向かってこれからの手を考えていきます。簡単に言えば自分の「勝ち」を想像し、そのために必要な手を指していきます。


これも将棋に限ったことではありません。
よくある目標管理などもその目標を達成するためにどうしたらいいかなどを考えていきますが、その目標さえも最終的に到達したい点から逆算して考えていく必要があります。
もちろんその考えた通りにすべての物事が進むわけではないので途中修正は必要になるでしょうが、それも最終的な目標がしっかり定まっていればある一定の範囲内で収まるはずです。


このように物理的な全体像だけでなく時間的に先まで見越すことも、重要な「大局観」と言えるのです。


③所有しているすべてのモノは借り物で、いつかは返さなければならない


これは羽生さんが映画「アバター」を観て着想した考え方だそうです。


最近では何もしなくてもどんどん物が増えて、自分たちの空間を侵食してきます。そうすると物理的に汚れもたまりやすくなるし生活も停滞していきがちになります。それを防ぐには増えた分物を減らして流動性を保つことが必要なのですが、やはりどうしても物を捨てるのは簡単にはできません。


そんな時「アバター」を観てこの考え方に至り、物を手放しやすくなったそうです。


実際僕もなにか不用品を捨てるときにこれを思い出し「世界に返さなくてはいけない」と思うことで以前より素直に物を片付けることができるようになりました。
自分の管理能力を超えて物を所有しても有効に使えなかったり部屋の隅でほこりをかぶっていたりとその物に対しても失礼ですからね。




以上のように「大局観」は様々なことを考える上で基盤になります。
僕たちも“自分の盤面”だけでなくもっと広い視野で物事を考えられるような「大局観」を養いたいものです。



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